現代の住まいと昔の住まい、地震に強いのはどちら?(後編)
前篇では現代の住まいの地震対策の考え方や経緯をみてきましたね。それでは後編では昔の住まいの地震対策を見てみましょう。
昔のいわゆる古民家と呼ばれている住まいは地震に対して、どのような考えだったのでしょうか?
地域ごとの大工さんが地域にあった地震対策を施していた
昔は住まいを作る時に、今のように国からとやかく言われるような事はありませんでした。ですので、各地域の大工さんたちが代々その地に伝わった、その地にあった構法で丈夫な住まいを作り上げてきました。
例えば雪国に行くと積雪時の垂直荷重に耐えうる立派な躯体をしていますし、東京に残されている古民家などは比較的、華奢な造りになっています。
東京の住まいが華奢に造られているのは実は火災対策なんです。現代の火災時は消防車によって大量の水による消火活動を行いますが、昔の東京はよく燃える木造家屋が密集していたので延焼を防ぐために、火消しは家々を壊して大火事を防いでいました。
ですので、江戸の町屋は仮設のように細い躯体で壊しやすく造られ、大事なものは地中に隠し、火事が去ったらまたその上に住まいを建てる。日本でスクラップアンドビルドの考え方が定着していたのは、ひょっとすると江戸の火災の経験からかもしれませんね。
昔の住まいは接合部で地震力を吸収していた
話を戻しまして、江戸のような大都市を除き、殆どの地域では大きな梁や柱で骨組みが構成されています。その組み方だったりはその地域ごと、また近所でもきっと教わってきた棟梁ごとに特色があるようで古民家の構造をよく見ると、関東だけでも様々な造り方があります。
色々と細かい違いはありますが、共通している昔の住まいの特徴があります。それは木材が合わさる継手や仕口などの接合部は複雑なカタチを施した木材同士が組み合わさり、最後に釘の代わりに込み栓という小さな木を差し込み仕上げられているということです。柱と地面の設置面も石の上に柱が置かれているだけで緊結されてはいません。
これは今のように骨組みを金物でカチッと固めるのとは全く対照的に人間の関節のように接合部にある程度ゆとりを持った仕組みにしてあるのです。地震の際に、接合部の木材同士がめり込むことでゆとりが発生します。建物全体でゆらゆら揺れながら地震の力を吸収していく仕組みになっているんです。
このめり込みによって凹んでしまった部分は次の地震の時はどうなってしまうのかとご心配の方もいますが安心してください。木は生き物ですので、地震程度のめり込みでは自然と元の姿に戻っていくんです。とはいえ1カ所のめり込みでは、強すぎて元に戻らない事もあるので、昔の住まいはこのめり込む部分を多くの箇所に分散しています。柱と梁の合わさる部分以外にも柱には多くの横架材による接合部があります。床下には根固め、室内には鴨居が大きくなった差鴨居など、様々な大断面の部材同士のめり込みにより、緩やかに揺れて地震の力を受け流す仕組みが造られていたんですね。
ですので、今でも100年以上、中には300年以上経っている古民家も各地に現存しています。これはその地で代々大工さんに伝わってきた文化が正しい住まい作りをしてきた証ですよね。
地震対策には日頃のメンテナンスも重要
因みにそれでも地震の際の映像で古民家も倒壊している映像も見かけます。そうは言っても弱いのではないかと思われる方もいらっしゃると思いますが、これは構法の問題というよりも管理の問題が大きいです。昔は地域毎に馴染みの大工さんがいて、年に一回くらいは住まいの様子を見にきていたんですね。古民家の接合部は釘を使わない代わりに込み栓という部材を差し込んで接合部を固めていました。木材は生き物ですので、月日が経つと部材が痩せてきて、接合部が緩んでしまう事もあります。そのような緩みをメンテナンスする習慣が過去にはありましたが、現代では見回りに来てくれる近所の大工さんもいなくなり、本来の強度が出せず、地震時に倒壊してしまうというケースが発生してしまうのです。
いかがでしたでしょうか?住まいの地震対策は戦前と戦後では法規制によって考え方が変わって行ったんですね。戦前は地震は受け流すもの、それが戦後、地震は正面から立ち向かって耐えるものに変化していきました。どちらも人命を第一に考えていますが、一度の地震で倒壊しないように造られている今の住まいに比べ、昔の住まいは幾度も地震に対応できる考え方で造られています。昔の住まいは損傷箇所があっても、そこだけ交換しやすいつくりでしたので直すのもカンタン。各地域でこういった技法が代々伝わっている工務店も、少なからずありますので住まいを建てる際にこういった側面からも考えてみる事も大切ですよね。
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